政治家や公務員の給与は税金という非常に固定的な制度によって成立している。民間組織とは異なり、利益に応じて額が決まるということではない。民間の常識とかけ離れた制度の結果、多くの地域では民間よりも多くの給与を公務員や政治家が得ているということが常識化している。そして更に問題なのは、多くの人が民間よりも役所に就職する方が好ましいと考えていることである。
公務員や政治家は富の再分配をする機関であるため、富を生み出す民間よりも就職が希望される社会では、経済は縮小しやすい。その状況において、行政が積極的に商店街活性化というビジネスを検討、推進するということは、悲劇である。
富の再分配をする機関の職員の給与は、常に自動的に民間の平均等よりも低くなるように設定すべきである。しかし、自主的に給与を下げる政治家は極一部であり、多くの地域では不当な利益を得ているのが現状である。
つまり、政治家と公務員の給与の平準化というテーマは、普通の政治家に期待できるテーマではないため、有権者が積極的に動くべきテーマである。有権者が政治家と公務員を監視するという民主主義の大原則を実施できるかということが我々に試されているのだ。
政治家の言動、行動を逐一監視することは難しい。しかし彼らが掲げている最重要課題や給与程度は目立ちやすい内容なので、最低限、監視と有権者の意見の反映をしなければならない。それすらできないということは、民主主義が実現できている地域とは言えない。政治家の資質を問う前に、有権者の資質が容易に問えてしまうのである。
私としては、滋賀県草津市から取り組む。是非あなたもお住いの地域にて取組んでみて頂きたい。
滋賀県草津市の市長選挙は2012年2月にあるが、候補者は現職の1名で、現職が選挙活動なしで再任することになる。いかなる政治家であっても、適切なプレッシャーがない状況においては生産性が下がる可能性が高い。現職の橋川渉市長は、市民から不満のでないように市政を運営することが最重要テーマだというタイプの政治家なので、生産性が下がる可能性は極めて高い。この原因は本人にも起因するが、草津市民全員の責任でもある。
都市化が進み、市政にも地域のイベントにも興味感心が薄い人が増えていると言われている。その現状の解消のためには、地元住民による積極的な働きかけが必要であり、地元住民の責任である。その次としては、単純に人口を増やしさえすれば良いという施策を長年展開して来た歴代の市長と行政の責任である。
他府県からの流入によって人口が増えるということは、他府県が人口を減らすというデメリットによって成り立つ。つまり、自分達の街のみが税収が増えれば良いという極めて無責任で、身勝手な施策を草津市は展開してきたのである。その上で、流入した人と地元の人が多面的、縦走的に交流をすることなく都市化し、軽犯罪が増えて来たのである。
もちろん大阪市や夕張市、福島県に比べれば可愛らしい失敗であるが、現状は、過去の施策を失敗だと捉えることすら行われず、現状維持で良いという思考停止さんで市長が取り巻かれているようである。つまり今後は更に悪化の一途を辿るのである。そして多くの有権者に強い悪臭が届くようになって初めて、問題が共有されるようになることだろう。60代以上の人にとっては逃げ切れる話だが、40代以下の人にとってはそうではない。
そういう意味で、40代以下の人が集い、解決策を検討し、政治的なアクションを展開すべき時期に来ている。もちろん年齢に関係なく健全な思考と行動力を持ったお方は多くおられるため、是非、論だん草津での会議からご参加頂きたい。
大津市民の数割の人は非常に勇気ある選択をされた。その結果として越直美氏が、日本最年少女性市長になることとなった。嘉田由紀子滋賀県知事とともに女性の力で滋賀県の政治が刷新されることだろう。もちろん、足を引っ張るだけの政治屋は滋賀県にも多い。多くの市民、県民の各個人が余暇時間の3%を使い、議会の状況、政治家の発言、テーマ等を学び、twitter等で市民の声を上げることで、足を引っ張る政治屋を無力化させることができる。
協力な支持基盤のある大阪のように、すんなりと政治と行政が変わるということは、残念ながら大津では考えづらい。だからこそ、有権者の監視と支援が重要なのである。
大阪を中心として政治、行政、そして国の一部の形が変わろうとしている。方法やスピードは違えども、滋賀も優秀な人材が政治の世界に浸透されることで、変わろうとしている。
近い将来において、課題先進国、日本が優れた政治家を多数輩出することで、世界の政治に貢献できるようになるだろう。その際に、大阪とは違う形で政治のあり方を変えた例として、越直美氏の活躍が光ることになる。(橋下徹大阪市長と越直美氏の対比記事)
その時にあなたが関与した行為が、投票ということだけではあまりにも水くさい。そこで、10年後を見据えて、世界に胸を晴れる趣味として、政治と行政の監視と支援をされることを強くお勧めする。
本書、政治家の殺し方は、自浄作用の働かない環境が人を「鬼」にする様子と原因がまとめたものである。事実無根のスキャンダル記事、足をひっぱることしかしない議員発言、反社会的組織による迷惑な街宣車活動、市役所職員による脅迫メール(実名入り)等、自分の身の安全が確保され過ぎた人が、反社会的で、反建設的で、非常識な行動を取り、そのおかしさにご自身が全く気がつかないようになってしまっているのである。
そのような「鬼」の行動は、「人間」と「人間」の社会的信用を著しく傷つける。事実無根であってもマスコミが延々と報じることであれば、「もしかしてその報道は正しいのかも?」と多くの人が思うようになるだろう。そして後に記事が事実無根であったと裁判所等で証明されても、その証明された事実を知る人は極めて少ない。なぜなら、マスコミはそれを大々的に報じないからである。また多くの人の注意・関心は別のものに移っているからである。
「悪貨は良貨を駆逐する」を本書に照らして言い換えると、「鬼は人間を駆逐する」ということになるだろう。
「鬼」の事例として注目すべきものは、市役所職員による一部賃金取戻請求による訴訟である。p.127
職員の通勤定期は、法令により1ヶ月単位で支給されていた。しかし6ヶ月単位の支給の方が、6ヶ月単位の定期を買うことになり、割引が大きくなり、経費削減になる。また人事異動は年1回なので、定期を6ヶ月単位に変更しても問題はない。
しかし、6ヶ月単位の支給に変更したら、1人の職員から反対された。なぜか? 多くの職員は1ヶ月単位の支給にかかわらず、6ヶ月単位の定期を購入し、差分を「お小遣い」にしていた。そのお小遣いがなくなるために、1人の職員が反対したからである。しかもそのお小遣いのために訴訟までしたのである。
もちろん、約3万人の職員もいれば、数十人ほど、まともではない人がいても不思議でない。しかし職員がいかに不合理なことで市長を訴えてもその職員がクビにならないという環境だったからこそ、上記のような訴訟は成立したのである。
人が安心して、目の前のことに集中できるためには、安全な環境が必要不可欠である。しかし、安全過ぎる環境は人を「鬼」にするのである。また安全過ぎる環境は他者の犠牲に成り立つことが多い。安全過ぎる環境が当たり前の「鬼」にとっては、その環境を破壊する者は侵略者であり、排除すべき存在と映る。そして他者への犠牲は拡大するのである。
本書では「鬼」退治の方法があまり書かれていないが、方向性として個人、民間、地方、国家のあらゆる意味において「自立」することが提唱されている。p.193 逆に現在としては、国家はアメリカ依存で、地方は国依存、民間や個人は公的依存なのである。
他者が自分のために何かをしてくれるという期待から始まり、期待が膨らみ、依存が生まれる。その依存が過度になると、依存体質になり、自発的な行動をすることができなくなる。そこで、そのような負の循環を断ち切ることこそが、今の政治家に求められていることである。
浦島太郎の鬼退治は昔話だけでなく、現在の話でもあるのだ。
