December 2, 2011
中田宏 「政治家の殺し方」

本書、政治家の殺し方は、自浄作用の働かない環境が人を「鬼」にする様子と原因がまとめたものである。事実無根のスキャンダル記事、足をひっぱることしかしない議員発言、反社会的組織による迷惑な街宣車活動、市役所職員による脅迫メール(実名入り)等、自分の身の安全が確保され過ぎた人が、反社会的で、反建設的で、非常識な行動を取り、そのおかしさにご自身が全く気がつかないようになってしまっているのである。

そのような「鬼」の行動は、「人間」と「人間」の社会的信用を著しく傷つける。事実無根であってもマスコミが延々と報じることであれば、「もしかしてその報道は正しいのかも?」と多くの人が思うようになるだろう。そして後に記事が事実無根であったと裁判所等で証明されても、その証明された事実を知る人は極めて少ない。なぜなら、マスコミはそれを大々的に報じないからである。また多くの人の注意・関心は別のものに移っているからである。

「悪貨は良貨を駆逐する」を本書に照らして言い換えると、「鬼は人間を駆逐する」ということになるだろう。

「鬼」の事例として注目すべきものは、市役所職員による一部賃金取戻請求による訴訟である。p.127

職員の通勤定期は、法令により1ヶ月単位で支給されていた。しかし6ヶ月単位の支給の方が、6ヶ月単位の定期を買うことになり、割引が大きくなり、経費削減になる。また人事異動は年1回なので、定期を6ヶ月単位に変更しても問題はない。

しかし、6ヶ月単位の支給に変更したら、1人の職員から反対された。なぜか? 多くの職員は1ヶ月単位の支給にかかわらず、6ヶ月単位の定期を購入し、差分を「お小遣い」にしていた。そのお小遣いがなくなるために、1人の職員が反対したからである。しかもそのお小遣いのために訴訟までしたのである。

もちろん、約3万人の職員もいれば、数十人ほど、まともではない人がいても不思議でない。しかし職員がいかに不合理なことで市長を訴えてもその職員がクビにならないという環境だったからこそ、上記のような訴訟は成立したのである。

人が安心して、目の前のことに集中できるためには、安全な環境が必要不可欠である。しかし、安全過ぎる環境は人を「鬼」にするのである。また安全過ぎる環境は他者の犠牲に成り立つことが多い。安全過ぎる環境が当たり前の「鬼」にとっては、その環境を破壊する者は侵略者であり、排除すべき存在と映る。そして他者への犠牲は拡大するのである。

本書では「鬼」退治の方法があまり書かれていないが、方向性として個人、民間、地方、国家のあらゆる意味において「自立」することが提唱されている。p.193 逆に現在としては、国家はアメリカ依存で、地方は国依存、民間や個人は公的依存なのである。

他者が自分のために何かをしてくれるという期待から始まり、期待が膨らみ、依存が生まれる。その依存が過度になると、依存体質になり、自発的な行動をすることができなくなる。そこで、そのような負の循環を断ち切ることこそが、今の政治家に求められていることである。

浦島太郎の鬼退治は昔話だけでなく、現在の話でもあるのだ。

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